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小さな銀のタワー

小さな銀のタワー

幼いころ、ぼくは所謂「おじいちゃん子」だった。

二世帯住宅だったため、働いていた両親よりも祖父母と過ごすことが多く、圓楽師匠が楽太郎だったころの笑点を一緒に見たり、新聞の端っこについているクロスワードをやったりしていた。
習い事が多く、何となく成果主義の気風漂う我が家において、祖父はいつでもぼくのすべてを肯定していた。

思えば、「大丈夫」と「すごい」を交互に言われていたような記憶ばかりで、多分、梅のシロップよりも甘く漬けられていた。

ワンピースのおまけのついたお菓子がほしいと言えば、毎日大量に買ってきて、ガッシュのおまけのついたお菓子がほしいと言えば、毎日大量に買ってきた。
袋をあけて、どれが当たるかなみたいなワクワク感はなく、1日で全種類が集まってしまうので、モノをねだるということはほとんどしなくなった。

中学に入り、朝6時30分に家を出るようになっても(中学までは片道1時間半かかった)、毎朝見送ってくれて、台所のへりにいつも950円を置いてくれていた。
正直、950円という金額は結構な額だし、食堂で昼ごはんを食べても帰りに買い食いすることも余裕。余ったお金を貯めて漫画や本、中古のCDなんかを買っていた。

なぜ950円なのかと言うと祖父いわく「子どもはお札よりもチャリ銭のほうが良いから」だそうで、1000円だとお札で渡すほうが良いからギリギリの950円なのだそう。

ほとんど毎日だったため、祖父はこの500円玉1枚、100円玉4枚、50円玉1枚(ほとんどの日は100円玉9枚と50円玉1枚だった)を手に入れるために買い物に行っていたらしい。多分酒と煙草なんだとは思うけど。

勉強についていけなくて学校がつまらなかったときも、気の合う仲間と会うのが楽しみで学校が楽しくてしょうがなかったときも、部活を陸上部にして朝練で始発列車に乗る朝も、小さな銀色のタワーは積まれていた。

そんな祖父は、ぼくが中学3年生のある夜、家であっさりと亡くなった。実は身体のあちこちが悪かったらしいが、家族の誰も気づくことなく、いつものように酒を飲み、煙草を吸い、小さな銀のタワーを積んで、息をひきとった。

思えば、小さな銀のタワーが積まれてからは、何かを買ってもらったという経験はそんなにないかもしれない。ただ、中学生には多すぎるお小遣いを貯めてみたり、無駄遣いをしてみながら、何日か貯めないと買えないものがあるという現実や、買ってもしょうもないものというものを知っていったような気がする。

祖父はいつも「大丈夫」と「すごい」を繰り返していた。
毎日学校に行っていてすごい。苦手な科目があっても大丈夫。部活を一生懸命やっていてすごい。将来やりたいことが見つかっていなくても大丈夫。

ああ、そうだ。あれはログインボーナスだったんだ。
起きて、学校に行って、帰ってきて、生きてて。いろんな現実があっても、明日も「大丈夫」になるための。

最後の小さな銀のタワーはなかなか使えなくて、高校を卒業した日の昼食に使った。
最後の贈り物は、跡形もなく胃の中へと消えたのだ。ふと、祖父が「お腹が空いたらかわいそうだから」とよく言っていたことを思い出したから。

お腹いっぱいで、中高6年間の生活を終えてやったんだ。

この記事を書いた人

ニシオヒカル

ニシオヒカル

株式会社MAGiC HoURの社長。 社会学や政策学を軸に「心優しい人たちが挑戦をあきらめない」社会を実現するために事業を展開。 漫画、アニメ、映画、お笑い、演劇などのサブカルチャーをこよなく愛する。