2人と2羽で生きていく
2021年の手帳を読み返すと、ぎっしり書いていた日々の記録が、8月で途切れている。
8月。夫が病気で休職した月。
結婚して半年目のことだった。
打ち込める趣味を持たず、寡黙で友人も少なく、日夜仕事のことばかり考えていた夫。
そんな夫が唯一好きなのが文鳥だった。
「いつか雛から育てたいなぁ」とよく言っていた。
私は鳥は好きではないし、何なら小さい頃から怖い存在だった。
でも、落ち込む夫を放っておくほうが怖かった。
夫が夢中になれることが必要だと思った。
だから、私から文鳥の雛を飼うことを提案した。
文鳥の雛は、真夏には出回らず、秋から徐々に数が増えていく。
10月のある日、家から離れた場所にあるペットショップに文鳥の雛が入荷したと聞きつけて駆けつけた。
そこで出会った、利口そうな顔をした桜文鳥と、おっとりした体の大きいシナモン文鳥、2羽の雛を連れて帰ることにした。
合わせてもたったの50gしかない2羽は、ケースの中に入っているのが信じられないほど軽かった。
袋の隅から覗くと、ケースの中で小さく身を寄せ合って、じっとしていた。
文鳥の雛はとても儚い。
たった1日、餌を食べれなかったら死んでしまう。
たった1日、糞が出なかったら死んでしまう。
寒さに弱く、常時30℃前後の保温と、50~60%の加湿が必要。寒さに耐えられないと、やはり死んでしまう。
その日から、私の世界はすっかり変わってしまった。
在宅勤務の合間に、1日4回のさし餌。
さし餌は湯煎して42℃に温めないと食べてくれない。
夜は眠れなくなった。
数時間置きに、ケースがちゃんと保温されているか心配で、目が覚めてしまう。
朝ケースを覗いて、ぱっちりまん丸のお目目と目が合うと、心の底からホッとした。
小さな2羽が、自分より何十倍も大きくて重い私たちの手や肩に、何の疑いもなく飛び乗って餌をねだる。
その姿が愛しくてしょうがない。
鳥のむね肉は気持ち悪くて食べれなくなった。
自分にこんなに母性があったなんてビックリした。
お迎えして10日目のこと。
文鳥の雛は、親鳥や兄弟から病気をもらっていることがあると聞いて、「元気そうだけど念のため」と健康診断に連れて行った。
その結果、2羽が病気であることがわかった。しかも病状は深刻らしい。
その夜、みるみるうちに、桜文鳥の状態が悪くなった。
ぐったりと首を垂れて、餌にも口を開かない。
寝ずに看病して、翌朝病院に飛び込み、すぐに入院することになった。
助かる可能性は50%と言われたけど、藁をも掴む思いで「お願いします」と頭を下げた。
苦しそうな顔とボロボロの小さな体でやっと立っている姿を見て涙が止まらなかった。
どうして、もっとはやく異変に気付いてあげられなかったんだろう。
夫の時も、この子の時も。
「万が一のことがあったらお電話します」と先生に言われたから、家で電話が鳴る度に心臓がバクバクした。
1日、また1日。
桜文鳥は少しずつ回復していった。
そして2週間の入院を耐え抜いて、私たちの元に帰って来てくれた。
もう1羽のシナモン文鳥も、2ヶ月の通院を乗り越えて元気になった。
夫は、多くの人に支えられて、この12月から復職した。
もうすぐ家族になって初めてのお正月が来る。
壁にぶつかって、悩んで、行動して、その繰り返しの1年だった。
結婚生活はよく航海に喩えられるけど、私たちの船はまだ、大海に投げ出された小さなボートだ。
少しの波にもグラグラして、その度に、引き返せばよかったとか、よその大船が羨ましいとか、色んな思いが頭をよぎる。
でもなんとかオールを手放さずに漕ぎ続けたから、今日も2人と2羽で生きている。
逃げ出さずによくがんばったねと、自分を褒めてあげたい。
ピヨピヨと機嫌よく文鳥が歌っている。
その文鳥に「お歌が上手だねぇ」と夫が笑いかける。
明日もあさっても同じ会話が聞きたくて、今日も小さなボートのオールを漕いでいる。
来年もまた、2人と2羽で生きていく。