起業、そして結婚のなかで
長く、そして短い1年が終わってしまった。
30年ほどの人生のなかでも今年は特に、「長く短い」という矛盾した時間経過を味わうこととなった。
長く感じたのは、やはり起業という大きな決断をしたことと、そしてそれが思うようにいかなかったことが要因だろう。
「思うようにいかなかった」という甘さも含めてその全てが自分の能力不足ゆえなのだが、何よりも経営という実体のつかめなさにひたすらに途方に暮れた1年だった。
ただ、そんな中でも一つずつやるべきこと、やりたいことを探り、年の暮れにかけてようやくこれからの道筋が見えてきた。大きな進歩だ。
この1年という数字は間違いなく「苦しかった」時間であり、同時に、苦しくなくなるまでにもう少しの時間を要することも検討がついている。「ただやみくもに苦しい時間」は過ぎ、「明るみにたどり着くまでのかすかな光の見えた苦しみ」に差し掛かったと考えると、幾分、気持ちも楽になる。
このような1年を「褒める」というのは自己評価としてかなり難しい。でも、苦しみから逃げながら、立ち向かいながら、なんとかその苦しみをやり過ごすことが出来たこと、それから、これまでの人生で目を逸らしてきた「本当にやりたいこと」に対して向き合えたことは、自分自身にとって大きな変化だった。
ただ、そこに至るまで周りに対して何も還元することが出来なかったこと、それでも文句ひとつ言わずに一緒にやってくれた仲間をこれまでの人生で得られたことに対しての「褒め」が、いまの自分自身に一番あげたいものかもしれない。
もう一つ、この1年で大きなライフイベントとして結婚というものがある。
正直なところ、自分が結婚をするということに対してリアルに考えたことが少なく、かといって、一人で生きていくことに対しても悲観的にならずに過ごしてきた。
だからこそ、その決断を下すことは、人生の見方を大きく変えることになった。
ひとむかし前の結婚とは変わり、現代における結婚は「してもしなくてもいいもの」となった。それによって社会的な立場や目線が変わるかと言われると、そんなこともない。
そのため、現代における結婚とは、なおさら「自分自身の人生への態度」であり、「挑戦の一つ」だとも考えられる。
結婚をきっかけに、自分自身の感情の動きや、思考の変化、弱さや制御できない部分など、知らなかった自分の一面を見ることになった。
また、同棲とは異なり、結婚を通じて、共同体としてのより強い意識を持つこととなった。例えば、「一人の時間の意味合い」が変化したことだ。一人でいたときには当たり前にしていたことが、実は「心地いいから自然と行っていた」ことだと気づいた。あるいは、逆に一人だからこそぶつけていたものがあったことにも気がついた。(文章を書くという作業は、殊更一人のほうが思考が溜まりやすいのでしやすい、といったような)。
一人でいれば、自分の弱さや不得意な面に向き合わずとも何となく時間が過ぎていくが、人と一緒に居つづけることで、否応なしに己と向き合うこととなる。ただそれは同時に、自分の中で大切な価値観や生き方を相手を通して知ることが出来ることにも繋がる。
結婚なき人生でもそれなりに気楽に生きていただろうが、その分自分の本当にやりたいことにも挑戦しなかっただろうし、日々一生懸命考えたりもしなかっただろう。そして、その機会が与えられたのはもちろん相手ありきであり、それは誰でも良かったわけではないだろう。
起業、そして結婚。2つの大きな決断が、間違いなく僕の大きな人生の転機となった。
これらによって単純に自分の日々が変化しただけではない。たとえば、人生の時間の使いみちについても深く考えるきっかけが得られたことだ。明確に新しい人と会う機会が減り、その一方で古くからの友人と会ったりするようになった。
僕にとって人生は、「好きな人たちと時間を過ごせる土壌を作るための道のり」だ。そのため、2021年という1年は、そこに対して大きな舵取りをした年であった。
そういう意味では僕よりも、僕をそう決断させてくれた周囲の人たちこそ「褒める」べきなのだが、まだまだ長いであろう人生の道のりの中でゆっくりとその恩を返していきたい。