私と旅と幸せ
行楽の秋、旅行の秋。
夏の暑さが影を潜め、心地よい気候が冬との境目に訪れる秋。
人が旅行を決意する時の感情にはどういったものがあるのだろう。
「あの場所に行きたい」
「楽しいことがしたい」
「美味しいものが食べたい」
人生の充実や喜び、楽しさを求める旅行を『幸福的旅行』と称するなら、
「現実から逃げたい」
「ストレスから解放されたい」
「知り合いのいない場所に行きたい」
という感情からくる旅行は『自己防衛的旅行』と呼ぶこともできるだろうか。
この『自己防衛的旅行』は、近年のSNSの隆盛の中、常に誰かと繋がり続ける現代社会を生きる私たちには、より一層、興味関心の深いものになっているかもしれない。
その証拠に、「スマートフォンの電源を切って、誰も自分を知らない場所で何者でもない自分と出会いたい」という気持ちを抱く人は少なくないように思う。
かといって、『自己防衛的旅行』は現代社会特有のものかと言われればそうではない。
一昔前の2時間サスペンスドラマでは、事件の鍵を握る女性は突然港町に赴いて防波堤から海を眺めていたりする。
文明開化の世を生きた文豪たちは田舎の温泉地に籠城して原稿に向き合ったものだ。
これは少し違うものかもしれないが。
なんにせよ、人は「何かを捨てたり、忘れたりするために旅に出る」ことは珍しくないのである。
コロナ禍に以前の私は旅行が好きだった。
年に4、5回は国内旅行を催し、友人や家族を付き合わせて津々浦々を練り歩いた。
当時は親しい人と遊ぶエンターテイメントとしての旅行、つまり『幸福的旅行』を行っているつもりだったが、コロナ禍によってそれを封印されたことで自分の心境にも変化があったように思う。
外出自粛期間で人との直接の繋がりがなくなって、以前よりも旅行に行きたい気持ちが高まるかと思いきや、特にそういうことはなかったのだ。
在宅で仕事をして、自分のキャパシティから溢れていた人との接触がなくなり、自分の気持ちがとてもクリアになったように感じる。
思うのは、これまでの自分の旅行に対するモチベーションは自分では気づいていなかった逃避行動。つまり『隠れた自己防衛的旅行』だったのかもしれない。
気づかないうちに何かから逃げたい気持ちを旅で発散していたのだろう。経済や社会、人々の暮らしに大きな影響を及ぼしたコロナ禍ではあるが、私はそれによって軽くなった部分があったようだ。
今私の中にある「旅行に行きたい」という気持ちはとても純粋なもののように感じる。
無意識に自分を守ろうとしていた旅行欲ではなく、もっと楽しいことをしたいという、純粋な『幸福的旅行』のモチベーションだ。
これからの世の中を不便に感じる人たちも多くいるだろうが、私は今の自分の「With コロナの暮らし」を続けていれば、次の旅は今までで一番楽しいものになるだろうと確信している。
次の行き先はまだ未定だ。