Category

社会課題解決は、その一歩を褒めることから

社会課題解決は、その一歩を褒めることから

ある日、いつものようにTwitterを見ていると「SDGsって言ってる人がペットボトルを買っているのを見ると怒りが湧いてくる」というツイートを目にした。

その人の怒りはつまり「社会に良いこととか、SDGsが大事とか言うならペットボトルを買うなんていう環境に悪いことをするなんて許せない!そういうことを口にするならペットボトルを買わないのが当たり前だ!」ということのようだ。

僕は、ふだん社会課題解決を謳う仕事に従事しながらも、ペットボトルを買うことをなかなかやめられない(ペプシコーラがペットボトルである以上、そう簡単なことではない)ので、この投稿を見て少し胸が痛んだ。

ファストファッションを買うことが批判をされていることに理解しつつ、やはりポケモンのコラボを見るとかわいくて買ってしまったりする(もちろん長く着ることが前提ではあるが)。


もちろん、すべてのものをオーガニックにしたり、徹底してプラスチックを使わない生活に切り替えている人は素敵だと思う。コンビニ弁当や出前サービスも使わず、すべて自炊で生活している人も素晴らしい。

服は古着屋で買ったり、エシカルファッションやジェンダーフリーを意識したもので徹底している人もまた同様である。

一方で、それらのことが行動に移せていない人が”ダメ”であり、”ソーシャルなんて言う資格がない”とは思わない。

それぞれの職業や生活サイクル、収入や家庭の背景、住んでいる地域など、行動に移すときのハードルの高さは様々だからだ。

例えば。
徳島県上勝町は日本一ごみの分別が細かく、そのための施設設計やデザインがなされ、町民だけでなく、宿泊客もそのルールに則って生活し分別を学ぶ場所になっている。

この町に住む人からしたら、首都圏に住む人の分別は「ソーシャルを語るなんて」と思うほど雑なものに見えるかもしれない。

例えば。
岩手県遠野市では、住宅メーカーと協働でまちの木材を使った住宅地を作り、廃材を減らす取り組みなどをしている。

またエコ住宅も多く、特に理由なくマンションで暮らしている都内の人を見たら「それでSDGsを語るのか」と言い出したくなるかもしれない。

もちろん、そこに住んでいる人たちがそういったことに目くじらを立てることは想像できないし、おそらく自分たちのスタイルを外に持ち出して強要することもないだろう。

それは、自分たちにとって心地よい選択をしていった結果にそうした決まりやまちのアイデンティティ、住居のありかたが出来ていったからだと思う。

つまり、そこに行き着いているのは常にポジティブな選択の結果と言えるだろう。

話を戻すと、長らくスタバに通っている人は、自分の意図とは関係のないところで日常のプラスチックの削減に貢献し始めているし、それを殊更取り上げて語ることも少ないだろう。

スパイスカレーにハマっている人たちも、もしかしたらコンビニ弁当や出前サービスを利用する機会が減っているかもしれない。

これは想像になってしまうが、この流れの中で抗うかのようにペットボトルにこだわったり、プラスチック製品にこだわって購買する人は少ないのではないか、と考えるし、それは多くの人が社会が良くなることに対して前向きであることの証左だ。

それぞれの立場からそれぞれの歩調で、少しだけ未来に思いを馳せながら、日々をちょっとだけ工夫する。そんなやさしさはどんなことだって肯定されて良いことだ。

もし、自分が仮に大きな歩幅で多くの人より前に進んでいるときに、後ろを振り返って叱咤するのではなく、「こっちこっち」と声をかけ続けることをしようと思う。

「違う」「ダメだ」と叱られ続けていたら、だんだんそういう声が怖くなって、積極的な一歩を踏むことがなくなってしまうということのほうが、とっても惜しいことだから。

何よりも、そういった熱心な人達が叱ってしまうことによって疎まれてしまうことは、社会にとってとても大きな損失だから。

きっと一生懸命、いろんな逆風と戦いながら先頭を歩いている人たちは、ときに少しずつ進んでいる人たちにもどかしさを感じてしまうこともあるのだろう。

だけど、その人たちも、出来ることならば何かを我慢してアクションし続けることよりも、自分の生活を、生き方を豊かにすることの連続で「社会にいいこと」ができればいい。

自分が踏ん張って我慢していることは、やっぱり他の人にも求めてしまいたくなってしまうから、出来る範囲でというのが誰にとっても大事なのではないだろうか。

「社会を良くすること」はほとんどの人にとって、賛成し、目指すべきゴールである。
だからこそ、そこに向かう過程で、誰かの不幸を生んだり分断や軋轢を生むことは、そもそもの目的から遠ざかってしまう。

それぞれのペースで、立場で向かうからこそ、見えるものがそれぞれで変わり、だからこそ出来ること、役割を分けることが出来る。

それぞれの思う、それぞれのいいことを今日もちょっとだけ。

この記事を書いた人

ニシオヒカル

ニシオヒカル

株式会社MAGiC HoURの社長。 社会学や政策学を軸に「心優しい人たちが挑戦をあきらめない」社会を実現するために事業を展開。 漫画、アニメ、映画、お笑い、演劇などのサブカルチャーをこよなく愛する。