Category

いつもラックにチョコパイを

いつもラックにチョコパイを

大学院進学にむけて ちょっとだけ駅の近くにすみかを移して3週間。

荷ほどきは終わっていないし、ついに友だちに「片付きません!」とLINEを送るにいたりました。片付けの苦手なわたしにしてみれば、お引っ越しは本当に恐るるべきものであった……とためいきをつく日々です。

そんなわたしですが、引っ越したその日から、ばっちり片付いている場所があります。それが玄関です。

100均で買ったくっつくホワイトボードと、お出かけチェッカーと、ヤドンのしっぽにキーケースをひっかけるかざりと、それから小箱ののった針金ラック。玄関の雰囲気にはとうてい合わない針金ラックは、わたしにとってすごく、大事なものです。

「針金ラック」ってこんなのです。

わたしの家近くにあった 祖母のお家の玄関には、いつだって針金ラックがありました。思えば小さいころから、祖母のお仕事である「茶道の先生」とは関係なさそうなきらきらした小箱が、針金ラックの上にちょっと窮屈そうにおかれていました。中に入っているのはチョコパイ。

祖母は普段わたしに甘くて、「お菓子あげようなぁ」とよく声をかけてくれていました。それでも、決してチョコパイだけはくれません。

なんのために置いてるんだろう……わたしにくれないのかな、といつも不思議でしかたありませんでした。「ほしいよ!」といっても、「これはあんたのじゃないでねぇ」と交わされてしまっていたのです。

ただ、祖母が食べるはずがないのだけは知っていました。だって、小麦アレルギーだもんね、おばあちゃん。

高学年にもなるともう「ほしいよ!」と訴えることはなくなりましたが、折にふれて冗談っぽく「もらってもいい?」と聞いては断られ続けました。賞味期限とかあるだろうに、なんて思いながらも 祖母が食べるはずのないチョコパイはずっと、玄関のラックに存在し続けていました。

そしてついに、チョコパイの正体が分かる日が来ます。

中学2年生のとき、部活を終えて家に帰ったわたしは、祖母の家に宅配便のかたが来ているのに気がつきます。「またおばあちゃん、なにか買ったな……」なんて思いながら様子を眺めていました。

すると、祖母はおもむろにラックから小箱をとり、宅配便のかたに向かってぱか、とふたを開けたのです。慣れた様子でそこから小分けを一つとりだすと、トラックに乗り込んでがたがたと荷台を揺らしながら宅配便のかたは帰っていきました。

それからというもの祖母に「もらってもいい?」ということもなくなり、高校生になってバイト代でチョコパイを買えるようになるまで、チョコパイを食べることもありませんでした。

大学生になって一人暮らしのワンルームを手にいれたとき、何にもない部屋に寝ころびながら「なにから買おう」と思ったとき、ふとそのことを思い出したのです。

その足で駅前の100均へ行き、小さなアルミラックを購入しました。それから、隣りのドラッグストアでチョコパイと、「もうすぐ暑くなるのかな」なんて思いながら塩タブレットを。

それからというもの、家具を届けてくれた宅配便のかたや 営業に来てくれるかた、郵便配達できてくれたかたなどにチョコパイや塩タブレット、時にはカイロや小分けマスクなどを渡しています。

普段友だちに「ありがとう」を照れて伝えられなかったり、申しわけなさにまけて「ごめんね」が口をついて出てしまったりするわたしも 、「ありがとうございます、よかったらどうぞ」ということばを、チョコパイとともに何度も何度も渡してこられました。

いま、引っ越してきた2DKの部屋には段ボールが積みあがっています。この記事を書きながら、「振り返ったら全部、整頓されてないかな」なんて数回うしろを見ましたが、やっぱり十数箱の箱に入った本たちは微動だにしていません。それでも、玄関のラックだけは ちょっとおしゃれなクッキーの箱が窮屈そうにおかれています。もちろんその中にはチョコパイが入っています。

いつもラックにあるだけで、気軽に「ありがとう」が伝えられる。

チョコパイはなんだか、そんな象徴に思えるのです。きっとこれからも。

この記事を書いた人

大平文音

ライターときどきカメラマン。 教育や心理学、福祉や社会課題に関心があります。 「人がより良く暮らすには」「やさしい繋がりとは」を考えていきたいです。