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回復を待ちながら

回復を待ちながら

2度目のワクチン接種を受ける際、同僚から「副反応には気をつけろ、翌日には体調を壊すかもしれない」と忠告を受けた。信頼する人物からの忠告とはいえ、不都合であれば素直に受け入れがたいものである。

接種した翌日の朝、37.5℃を示す体温計と対面した。回復を待つ間、天井を見つめながら、今日は体調不良で休んだ仕事のことでも考えよう。

アラサーを前にして、このままでいいのかと考えることが増えた気がする。

大学を卒業してからは新卒としての就職を経験した。おまけに転職まで経験した。

「休日にはたくさんインプットして、仕事で存分にアウトプットしろ」

現職ではそういった内容を繰り返し指導される日々が続いている。

優秀な人材であることは、自分にとっても会社にとっても利益になることだとされているらしい。だから何だと言うのか。たくさんの人間が、仕事にしがみついている。私も、そのひとりだ。

ここで、働く各位に問いたい。

この社会は「仕事しか出来ないような人間は、面白くない人間」という価値観に陥っていないかと。

トラウマやコンプレックスをバネにして、休日まで仕事に費やしてきた私は、長時間の拘束や些末な人間関係に神経をすり減らしながら、決して100%評価されることのない業績を追い求めて毎日を過ごしている。

私達は、政治も戦争もマイノリティも気にならない、忙しさだけが存在する世界に生きている。この状況で、どのようにして「仕事が出来るし、なにより面白い人間」になれると言うのだろうか。私はこれだけ無頓着なのだから、現在自分が置かれている状況や、選択可能な選択肢の存在にも気づけていない状態なのかもしれない。とにかく無制限に、これからやりたいことの一つでも考えることが”薬”になるのかもしれない。

今日は残った時間で”薬”を飲むとしよう、「面白くない人間」と「面白い人間」の間に流れる深く暗い川を見つめながら。

体温計が38℃を示したので、不毛な考えを巡らせるのも今日はここまでにしよう。

自己管理に疎い一人暮らしの家事従事者にとっては手遅れのような話だが、体調不良を改善するのは、より良い食事と、休養が可能で快適な環境らしい。

これに個人のこだわりまで含めば際限がないので割愛するが、大まかにはこれらの要素に集約されるのではないだろうか。

頭痛に寒気、節々の痛みを覚えながら、キッチンの戸棚に手を伸ばしたが、モノとモノとで浅いはずの隙間を探っても何も手に取れなかった。結局、本当に米粒のひとつもなかったので、食欲など本来なかったのだということにして、今日は少しだけ長めに風呂に入るとしよう。

明日には、また仕事が始まる。

この記事を書いた人

Aden

大阪生まれ。地元のIT企業でエンジニアとして勤務。MAGiC HoUR ニシオ氏からの誘いで寄稿するに至る。