原爆体験の「語り」継承について
被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。70年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。(…)私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。
サーロー節子さんの2017年ノーベル平和賞授賞式スピーチより
2021年1月22日に「核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)」が発効した。同条約は「核兵器の使用、使用するとの威嚇」を禁止している上、加盟が全ての国へと開かれており、核兵器禁止を地域からグローバルへと拡大するマイルストーンとして大いに注目されている。
同条約の前文においては公共の良心(public conscience)の役割が強調され、そして核兵器廃絶にあたっての被爆者(hibakusha)の努力が認識されている。同条約の採択はNPOのICAN(International Campaign to Abolish Nuclear Weapons)が推進しており、被爆者の一人サーロー・節子さん(Setsuko Thurlow)はICANの設立メンバーである。ICANは2017年にノーベル平和賞を受賞し、サーロー・節子さんは事務局長のベアトリス・フィンさん(Beatrice Fihn)と受章にあたってのスピーチを行った。
原爆投下から76年が立ち、ヒロシマ・ナガサキの被爆者、そして被爆体験を語り継ぐ「語り部」の高齢化・人数減少はますます進んでいる。また、近年太平洋戦争を扱った番組の数が減ってきている上、コロナ禍により戦火に見舞われた地での平和学習も困難になっている。被爆者(歴史の証人)の直接的な「語り」が難しくなり、また太平洋戦争・原爆について考える機会が減る中で、被爆者やそれを取り巻く人々・場所が原爆の記憶をどのように引き継ぎ、公共の良心に対して働きかけられるのかが、重要な問題として今問われている。
(日本経済新聞「広島、76回目の原爆の日 被爆地が問う核と世界」(2021年8月6日)より)
被爆者の高齢化・減少に伴い、2012年度から広島市は「被爆体験伝承者養成事業」を、長崎市も2014年度から「語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)推進事業」を開始した。原爆の直接的な体験者ではない「伝承者」が語り継ぐ原爆体験とは何か。そして語り継がれる先の私たちはどのように伝承者の「語り」を受け止めていくべきなのか。このことを、戦争の記憶が薄れる今の研究課題としたい。