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りぼん

りぼん

実家に帰ると、あの日を思い出す。

あの日というのは、固定の日にちを表すものではなく、それぞれの思い出が溶け込んだ、連なった記憶たちのことだ。

今日、久しぶりに実家に帰った。

特別な理由はなく、数年に一度くる「帰っておいた方が良いかな」と何となく気の回る瞬間。
仕事で大きなプロジェクトがひと段落ついたとか、3年半付き合っていた恋人と大きな理由もなく別れたとか、
そういう身の周りのゆるやかな変化がそうさせた部分もある。

実家は、田舎でも都会でもない場所にある。

ターミナル駅から40分、駅から歩いて12分。

目立った商店街があるわけでもなく、おしゃれなカフェがあるわけでもなく、住民以外で誰が使うのか検討もつかない、そんな地域。
自然の匂いが濃いわけでもなく、かといってカラフルな匂いがすることもなく、路地裏のような独特な陰気臭さと家庭から流れる微かなぬくもりの匂いだけで満ちた、そんな場所に目立たないように建っている実家。

帰ってくるなら連絡しなさいよ、とか。
どうせなら駅前で何か買ってきて貰えば良かった、とか。
あるいは、そういえば小中高まで一緒だった幼なじみが結婚したけどあんたはどうなんだ、とか。

台本のように並べられた言葉たちを、のらりくらりとかわしながらマルチーズのカイワレの頭を撫でる。

家の中はどうしてか、ほとんど変わっていない。

物心ついた時からものの配置は変わってないような気もするし、
むしろ新しくなった冷蔵庫やテレビがこの景色の中で少しだけ浮いているのが滑稽にも見えてくる。

進学や就職、その後も幾度かの引っ越しをしている身としては、
この変わらなさというのが実家を実家たらしめているような気さえする。
出来れば、小学生の時にもらった賞状なんて、もうしまって欲しい。

カイワレは少しだけはしゃいだあと、当時の体力はないのかすぐにソファーの上の定位置で丸まってしまった。
ぼろぼろの毛布、新しいのを買ってやっても良いんだけどな。

ふっとひと息をいれてから自分の部屋に入る。
オリーブ色に幾何学模様の、少なくとも自分の趣味では考えられないカーテンは、いまだにぼうっとつり下がっている。

机の、一番下の一番奥、そこに僕である確証のようなものを置いている。

小さい子やウサギが描かれた缶の中、そこにはピンク色のりぼんが大量に入っている。

はじめは、お土産の袋についていたりぼんが妙に気に入って、とっておいた。そこから、ピンク色のりぼんをみるとこの缶の中に入れて時折触ったり、眺めたりしていた。特に落ち込むと、その行動は顕著に現れた。

ピンク色が好きだった。

そう自覚したことは、わりと早く、幼稚園の持ち物が水色で統一されていることに、ほんの少しだけ女の子たちにうらやましさを感じたからだ。
だけどそれは、どうしても言ってはいけないような気がして、うらやましさと、同時に背徳感めいたものも抱いていた。

幼少期には、なぜか好きな色は自分という人格に大きな影響、それは自分が自分であることや、他人からの自分の評価が決まるような気がしていたからだ。

赤は、リーダーとか、元気で運動が出来て、活発な子。
青は男子のスタンダード、というかクールでかっこいい。
緑は優しい、おっとりした子。
黒や白って言う子はどこか大人っぽくみえる。

仲良くなった友達に、ひそかにピンク色が好きなんだと告げたことがある。
そのとき、少し困ったような顔をして「そういうの知ってるよ。心が女の子なんでしょ?」と言われてしまい、それ以来誰かに話すことはやめた。

幸いにもその子は誰にも話さないでくれたけど、その代わり何となく気まずくなり、疎遠になってしまった。

だから、誰にも見つからないように、奥底にピンクのりぼんを集めた。
大きくもない缶にたくさん入って、音がしない、ピンクのりぼん。

年齢が上がるにつれて、それは僕しか知らない僕になった。

サッカーは好き、ピンク色が好き。
数学が得意、かわいいものが好き。
女の子が好き、りぼんが好き。

それは、ちぐはぐな僕の存在。
誰かに言えない、僕だけの僕。

中学、高校、部活、塾、大学、バイト先、サークル仲間、ゼミ仲間、就職先、恋人。

それぞれの前で、それぞれのキャラクターでいる中でも、僕は、ピンクのりぼんが好きな僕だった。

LGBTQに対する理解を深めよう、みたいな番組を見ているときにも、
「かわいいピンク色に囲まれたい、理系で性対象が女性の男性」のような人については触れられない。

もちろん、困っていることが多いかと問われるとそんなこともないような気もする。
だけど、本当の自分のことはついぞ誰にも話すことが出来ないままここまできてしまった。

青色の持ち物が多い、職場の中の「僕」の入れ物は、いったい誰なんだろう。

日々に呑まれると、まるで自分が好きなものなどないような無味乾燥な存在に思えてくるときがある。
そんな時はこうして、実家に帰って缶の蓋をあける。

そのときの胸の高鳴りが、あの時のままであることに安心して、僕はピンクのりぼんを握りしめる。

まだ、大丈夫。
僕は、僕を、手放していない。

深く息を吐いて、もう一度だけ、ピンクのりぼんをそっと撫でた。

この記事を書いた人

ニシオヒカル

ニシオヒカル

株式会社MAGiC HoURの社長。 社会学や政策学を軸に「心優しい人たちが挑戦をあきらめない」社会を実現するために事業を展開。 漫画、アニメ、映画、お笑い、演劇などのサブカルチャーをこよなく愛する。