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私はたぶん明日、またバス停で泣きそうになる。

私はたぶん明日、またバス停で泣きそうになる。

私は、定刻通りにバスがくると泣きたくなる。そういう人だ。

だって不思議じゃないか。

描かれた物語のように、設定されたアルゴリズムのように、
当然のようにバスがやってくるのは、日常なんかではない。

バス会社で就労したことはないからわからないけれど、
運転士が健康で朝を迎え、事故なく出勤し、バスを動かす。

世界は災害が起きるわけでも隕石が降ってくるわけでもなく、当たり前のような顔をしている。

私たちはバスが定刻に来ないと死ぬみたいな顔で、
スマホで何十回も時刻を確認しながら、バスを待つ。

バスは事故を起こすことなく、定刻通りバス停に辿り着く。
すべて当たり前なんかじゃなくて、奇跡に等しい。

だからバスが予定通りに目の前に現れた瞬間泣きたくなる。

これはちゃんとした奇跡で、この奇跡を起こすために
色々なものと色々な人が、存在する。

生命が地球に誕生したことがどれだけの奇跡かをあらわす際、
「流れるプールの中でバラバラだった時計が自然と組み立つ確率と等しい」らしいが、
私にとってはそれと、バスが定刻通りにくる奇跡は同じだ。

それがすごく美しくて、好きだから、
死にたくなって消えたいときは、そういう奇跡を思い出す。

たぶん、世界は決して完璧なんかではない。

もともと壊れている世界は、誰かのおかげで完璧に見えている。

今わたしたちは世界が壊れてしまっているように感じているかもしれないけれど、そうじゃない。
今の世界の治し方を知っている人がいないだけだ。

なんかわからないけど、わからないなりにみんなが生きていれば、
奇跡はまた起きて、世界はきっと治る。そういうふうにできている。

会いたい人に会えることも、
行きたい先に行けることも、
「いつか」がちゃんと来ることも、

決して、当たり前なんかじゃない。完璧なんかじゃない。

私たちは今、誰も治し方を知らない世界にぽつりと立たされ、
今の世界が、自分と、自分の大切な人を苦しめる存在があることが
悔しく、憎いと思っている。

世界の愛し方を忘れてしまっている。

だからこそ、
完璧ではない世界を恨むのではなく、
壊れている世界を、知らないうちに誰かが治してくれていることを奇跡と思おう。

私はたぶん明日、またバス停で泣きそうになる。

***

7月12日、緊急事態宣言。
また人が、世界の愛し方を忘れてしまうなと思ったので、
幻覚や事象に惑わされるのではなく、
当たり前でないことに落胆するのではなく、
もっと目の前の世界の美しさが届けばいいなと思って。

完璧を求めてできないことばかりを嘆くのではなくて、目の前の奇跡を受け止めることで、
世界は少なからず今よりもっと愛すべきものになるはず。

目の前の日常を奇跡みたいに大切にしてほしいです。

色々な考えの人がいると思います。
それぞれ、大切にしたいものが違う人が。理想が違う人が。

だけどなんだか、どちらかの正義を潰すことを頭の中において生きていくよりも、
どちらにも共通する何気ない日常を奇跡と捉えられるようになるだけでいいのかなと思います。

世界の綻びが一日でも早く繕われる日を願って、祈りをこめて。

この記事を書いた人

miyunagai

ライター、インタビュアー。日々耽るのは享楽、芸術は勉強中。希望ある未来と懐かしくなる過去をつくるべく、ゆるりと南船北馬。現在大学四年生。