忘れかけていた挨拶。たった一言が幸せを呼ぶ。
今年の春、慣れ親しんだ東京を離れ、地方へ移住した。
移住しようと思ったきっかけは新型コロナウイルスの影響である。
大学を卒業して何不自由なく東京で社会人生活6年。コロナが流行する前はこの生活が変わることはないと思っていた。どちらかというと私の性格上、決まったルーティンをこなすことの方が合っていると思っていたし、そう無理矢理思い込んでいたのかもしれない。
しかしコロナが流行して、それまでの「働く=出社する」という概念はいとも簡単に崩れた。私はいわゆるリモートワークの1年間を過ごすことになったのである。
リモートワークは想像以上にきつかった。人に直接会うことも、勿論外出することもできない。
大都市である東京は、特にコロナが流行しており、テレビでは毎日のように感染者数が発表されていた。
そんな状況で、たまに出社すれば、お互いにコロナを気にして、ピリピリとした空気感。
体温は?消毒は?コロナ以外の話題がないことに疑問すら覚えた。
そしていつからだろうか。久々に会社で顔を合わせても、お互いに会釈程度で、まともに挨拶をすることすらなくなっていた。
当たり前だった挨拶がコロナによって消えたのだ。
「こんな生活いつまで続くんだろう。」
「そもそも東京で働く意味って……」
精神的にも体力的にも限界だった私は、仕事と住む場所全てを変えようと東京を離れる決意をした。
運良く仕事も住む場所も決まって、この春、縁もゆかりもない地方にやってきたというわけである。
地方へ来たからといって感染しないと言い切れるわけではないが、街中から少し歩けば田んぼが現れ、のどかな風景が広がる。
東京に比べると、明らかに「密」とは無縁の世界がそこには広がっていた。
自然がすぐ側にある、ただそれだけでも心が落ち着くのだが、忘れかけていた挨拶がここにはあった。驚いたことは、知り合いではない人たちに対しても挨拶をするということである。
田んぼ道を歩いていれば、農作業中のおじいちゃんおばあちゃんから挨拶があって、
朝ゴミ出しをしているとたまたま居合わせた人から挨拶があって、
スーパーでの買い物の帰り道、自転車に乗っている中学生から挨拶があって……
東京では全てがありえなかった。
隣に住んでいる人にも、会社の人にもまともに挨拶をしなくなっていたのに、
こちらでは道ですれ違えば挨拶をしてくださる。
おはようございますとか、こんにちはとか、今日は暑いですねとか、そのたった一言の挨拶が気分を晴れやかにしてくれることに気付いた。なんでたった一言だけなのに、それすらまともに言えなかったんだろう。
ピリピリとした空間で息がつまり、自分で自分を追い込んでいた。
東京に比べると遊ぶ場所は明らかに少ないけれど、心がずっと穏やかである。
私と、ちょっといいこと。
それは挨拶だ。
挨拶という当たり前のことが毎日の生活を少し彩ってくれる。
ちょっとしたことだけど、私も誰かの顔を見たら挨拶をしようと心に決めた。私の一言が誰かのちょっとした幸せに繋がりますように…