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想像力で、世界を変える

想像力で、世界を変える

例えば、街中に無造作に落ちている、ぼろぼろになった手袋を目にしたら何を思うだろう。それが大きくて麻でできていて、カーキやネイビーだったら、どこかのおじさんがポケットから落としたのだろうと思うだろうし、それが小さくて真っ赤な、毛糸でできたミトンだったら、赤ちゃんが手から滑らせたと思うだろう。
 もし仮に赤ちゃんのものだとすれば、彼ないし彼女は誰となぜ、この道を通ったのだろう。何を考えていて、その小さい体から何が見えるのだろう。

 わたしたちはそういう「想像」を、人生で必ず一度はしたことがあるだろう。

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 二十歳になったばかりの夏、ネパールという国にいたことがある。首都カトマンズの外れ、スワヤンブナート地区の高台にある孤児院で住み込みでボランティアをしていた。
 あらゆる貧困を目にした。その現実は何度目を背けても夢に出てきて、勇敢に向き合ったらわたしの心は勝手に傷ついた。あの時は鬱の症状が出て大変だったなあと今なら笑い飛ばせる。

 あの夏、わたしはあることを考えた。
 想像力で世界は変わるかもしれない、ということを。 

 2ヶ月近くに及ぶ住み込み期間を終えた帰国日、子供たちがプレゼントをくれた。
 指輪、ブレスレット、キーホルダー。孤児院に入ってるような子供に、頻繁にそんなものを買うお金なんてないことは当たり前のようにわかった。
 わたしにとってはそれらが、有名ブランドの何万円もするアクセサリーなんかよりもはるかに価値のあるものに思えた。

 心優しい彼女たちに見送られながら、帰りの飛行機で涙が出た。

 エベレストによる観光業と、未開拓の土地を利用した第一次産業、先進国への出稼ぎで国家のGDPが構成されるネパールは、自国に中心産業が存在しない。つまり主となる雇用が存在しない国だ。
 出稼ぎ労働では低賃金で危険な職場に置かれ、命を落とすケースも少なくない。
 
 彼ら彼女らがどんな大人になるのか、どんな仕事をするのか、いつまで生きているのか。きっと今のままではだめなのだと思って、自分が情けなくて泣いた。
 隣に座ったネパール人の男性は、不思議な顔をしてこちらを見ていた。

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 私はきっと、あの夏をこの国で過ごすまで、そんなことを考えることはなかったと思う。想像することすらなかっただろう。
 あの夏がなかったら。自分の人生だから、自分が欲しいものを買うし、自分がやりたいことをやる。そういうエゴイズムだけでできた大人になっていただろう。

 人類が、ホモ・サピエンスが、ここまで発展した所以は「想像力」であるらしいと、何かの本で読んだ。想像力は、わたしたちを今この瞬間まで導いてきた。
 
「どうやったら世界が変わるかわからないし、自分に世界は変えられないと思いますか」という世論調査の質問があるとしたら、どのくらいがYESと答えるだろう。それとも、「どちらでもない」が多かったりするだろうか。
 世界を変える最も簡単な解決策は「想像力」だ、とわたしは思う。

 考えてみるだけでいい。赤くて小さなミトンから赤ちゃんを想像するように。目の前の物や現象は、どこからきているのか。誰がつくっているのか。なぜ目の前にあるのか。値段がついているのだとしたら、なぜその値段なのか。想像してみると、わたしたちは馬や鹿ではないから、わかるはずだ。

 そしてその想像の先にどういう行動をとるかは、自分自身が目指す未来によって決まる。
 もし、赤くて小さなミトンがピカピカで、落ちてからそんなに時間が経っていないとしたら、私の足は交番に向かっているかもしれない。お気に入りのミトンを失くして泣く赤ちゃんと、赤ちゃんの小さな手を暖める術を片方失くして焦る母親の顔が脳裏を過ぎるから。

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 このままでいいのだろうかと、心のどこかで思うことはないだろうか。
 
 変わらない政治、よくわからない選挙。
 東奔西走するメディア、形成できない持論。
 少しでも安く買いたい服、一方で耳に挟むニュース。
 
 想像してみるだけでいい。世界を変える最も簡単な解決策は「想像力」だから。

この記事を書いた人

miyunagai

ライター、インタビュアー。日々耽るのは享楽、芸術は勉強中。希望ある未来と懐かしくなる過去をつくるべく、ゆるりと南船北馬。現在大学四年生。