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かつての私の愛を乗せて、私は今日もチョコを買う。

かつての私の愛を乗せて、私は今日もチョコを買う。

ミッションスクールに通う高校2年生のわたしは、国際協力に燃えていた。

学校の総合の授業で知る世界の裏側の状況は、まさに想像を絶する大変さで、自分はなぜこんなところでのうのうと生きているんだろう、と強い衝撃を受けた。

我が母校では、高校2年生の総合の授業で「1年間NGO支援を行う」というミッションが課されることが恒例となっていた。当時のわたしは(斜に構えながらも)どうすればこの構造的な課題が解決されるのだろうか、と頭を悩ませていた。
そんな当時のわたしの結論は「草の根で働いても抜本的な解決にはならない。国際協力機関で働くことこそ解決に近づく唯一無二の方法である」というものだった。

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「国際協力」という道を選んだ私は、「お金がない」とされる人たちに、なんとか稼ぐ方法を身に着けてほしくて「教育」という手段を選んだ。
教員免許を取れる大学に入学し、社会の構造を学ぶなかで、国際関係学や国際政治などの知識も貪り、その解決方法に思いを馳せた。

ただ、上流からの解決を臨む一方で、「現場の状況を知らない人にその任は負うことが出来ない」とも考えていたため、一刻も早く現場に足を踏み入れるべく、大学1年生の夏、途上国としての登竜門ことカンボジアに、そして冬にはネパールに飛んだ。

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現地では確かに何もかもが足りなくて、それでもなんとか生きている彼らの現状を、どこか遠い国の出来事と感じつつも、なんとかしたいという焦燥感から、がむしゃらに(自らの手を過度に汚すことはない程度に、ではあったと今となっては思うが)自分にできることをやった。

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その後も、異国の状況と自分の置かれた社会との差分を感じるために、あるいはそのときの衝撃を忘れないで持ち続けるために、、日本でバイトしたお金を貯金し、1年のうち2ヶ月は途上国で滞在する暮らしを送った。
そのうち、滞在するだけでは飽き足らず、農村開発を行う現場で実際にNGOのスタッフとして働いたりもした。

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しかし、ほどなくその夢ー貧しい人が豊かになるように、といったーは潰えることとなる。
インドでNGO職員としてインターンをしていたのだが、働くなかで「ままならないこと」をこれでもかと見せつけられ、決して綺麗ではない(正しくもないと思われる)事情を知ることとなった。
色々なことが重なり、ピュアかつ丸腰で臨んだわたしはすっかり打ちひしがれて帰ってきた。もうあのきれいな景色はきれいに見えなくなるのだろう、自分はもう夢を見ることはないのだろう、と、帰りの飛行機で泣いた。

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(ちなみに機内食は意外にも美味しかった)

よくよく考えれば同じ人間に対して「私が助けてあげよう」なんてちゃんちゃらおかしな話だ。
私が誰かを救った気になるその瞬間にも、彼らには彼らの人生があり、それは結局のところ交わらないのだということ。そしてもっと他に、何か状況を打破するために出来ることがあるのだということ。
そんな、ある種「アタリマエのこと」に気付いてしまった。(ようやく気付いた、という方が正しいのかもしれないが。)

そうして、千年の恋が冷めたかの如く、わたしの心のなかの「国際協力熱」は冷めていった。
記憶喪失したのかと思うほどの切り替えの早さで、当然のごとく民間企業で就職活動に臨み、売上や成績を競う社会に突入していったのだ。

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かつて途上国の貧しい暮らしをする村人に「稼ぐ力を身に着けてほしい」と願ったわたしは社会人になった。しかし、仕事で満足に成果を出すことも、会社で居場所を見つけることも出来なかった。
分かりやすい貢献が出せずに忸怩たる思いをし、「どこにいても役に立たないなあ、ままならないなあ」という実感を日々募らせていった。

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そんなときに入った雑貨屋さんでふと目に止まったのは、あの国で作られているフェアトレードのチョコレート。牧歌的で、ちょっと嘘が混ざっていて、じゃりじゃりして、いらいらして、絶望した、あのときの景色が鮮やかに蘇ると同時に、私は思わずその商品を買い求めていた。

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実際、食べたときの味は覚えていない。美味しかったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。でも、確かにあのときの私はあの国の、彼らの役に立ちたくて、実際にそんな実感を持ってもいたじゃないか…ということをふと思い出した。

それから折に触れて、自信をなくしたとき、うまくいかなかったときにはここにきて、このチョコを買うようになった。昔叶えたかった自分の、叶えられなかった夢への贖罪なのかもしれないし、あるいは、なけなしの貢献欲求を満たしているのかもしれない。

あのとき救っていると思っていた自分が、今度はあの現場に救われている。否、あのときからずっと救われていたのだろう、など考える。

こうやって、自分のかつての想いを供養し、消化し、昇華しているのだなと、ある種シニカルな気持ちになりながら、今日もチョコレートをかじる。

さあ、今日も頑張ろう。かつての私が、ちょっとは浮かばれるように。
そして世界がちょっとは良くなるように。

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(執筆者:たかお note / Twitter )

この記事を書いた人

たかお

本業にてコミュニケーションマネージャー(マーケ、広報、採用広報、組織開発領域等)を担う傍ら、複業としてコミュニティ運営やメディアのインタビュー担当、人事代行、ライティング、PR担当などに関わる。 趣味はパン屋さん巡り(パンシェルジュ検定1級取得)。 得意技は「住んでいるエリアと好きなパンを聞くと、パンをおすすめできる」こと。 SNS等で文章を書き散らすことと、ストレングスファインダーの1位である「収集心」を活かした推し事が生きる糧。推しを推す熱量には定評あり。 最近の推しはイコラブちゃんとサンリオとウマ娘(だいたい箱推し)。