Category

2021年は「声」に救われた一年でした。

2021年は「声」に救われた一年でした。

2021年が、今日……終わる。

つい2週間前まで半袖で過ごしていたせいか。それともマンション入り口のクリスマスツリーがいつまでも片付かないからか。「新年を迎える」心の準備ができていない。

やばいやばい。このままでは年が越せん!

「せめて今年の振り返りだけでも……」と思い、今年の日記を見返した。でも書かれていたことは、自分でも引くくらい”地味”な日常だった。
「今日もいい天気」だとか「コーヒーが美味しい」だとか。過去の自分に平手打ちしたくなるような、本当しょーもないことばかりがつらつらと。

……と思っていたところ、そんな日常がパタリと止まっていた。

9月だ。

それまでは毎日欠かさず書いていたのに、9月を境にぱたっと書かなくなっていた。

9月といえば……ハノイのロックダウンが厳しかったころ。ほとんど外出できなかったし、メンタルも落ちていた。noteも同じく9月13日の投稿を最後に更新が止まっている。

https://note.com/sorachi224/n/n4e84f39a5160

「しょーもない」を書き留められるのは、心と身体が元気な証拠。

今年の9月はすべてが嫌になるほど疲れていた……。今では日記を再開できたけれど、そのときは本当に苦しかったんだろうな。わたし。

でも、なぜか「Podcast」だけは続けられた。

日記もイヤ。noteもイヤ。
Twitterなんてもっとイヤ。

そんな時期でも、Podcastだけは続けられた。

日記が書けなくなったときも、なぜか毎日収録していた。私にとって「しゃべる」ということは、今日の天気をメモるよりも苦ではないらしい。
収録といっても、外付けマイクがついた携帯にむかってひとりボソボソしゃべるだけ。それだけなのに、共感できる仲間と出会い、徐々に繋がっていく感覚がたまらなく好きだった。

Podcastは、海に手紙入りのボトルを投げ入れる感覚と似ている。誰に届くかわからないし、もしかしたら誰の目にもとまらないかもしれない。

でもじっと待っていると、誰かがわたしの手紙を見つけてくれる。そしてその人が物珍しそうにじっと読んでくれるんだ。もしかするとお返事を投げ返してくれるかもしれないし、そうでないかもしれない。

この偶然の出会いが、妙にわたしをワクワクさせた。
実際に、手紙を投げ返してくれるリスナーさんとも出会えた。このレターやコメントがあったから、楽しく配信を続けられたんだろう。

ただ携帯に向かってボソボソしゃべっているだけのはずが、わたしの声は誰かにちゃんと届いていた。そしてわたしの声が、誰かの日常になっている。
この事実こそが、たまらなく嬉しかった。

そしてこのレターやコメントが、わたしの心の支えになっていた。

2022年も「一通のレター」を大切に。

Podcast配信のことを友達に話すと「何を目指しているの?」と聞かれる。きっと素朴な質問なんだろうけど、「なんて返そう……」といつも回答に困る。

だって目標とかないんだもん。強いて言うなら、今まで通り「楽しくしゃべり続けること」くらいかも。

チャンネル登録者数とか、再生回数とか、収益化とか、そういう分かりやすい目標があった方がいいのかもしれない。けど、”繋がりを楽しんでいるだけ”のわたしにとって、正直それはどうでもいいことだ。

好きだからやっている。
そして、それを楽しみに待ってくれている人がいる。

この素直な関係だけで、十分だ。

声に救われた、2021年。
2022年も変わらず、一通のレターを大切に、配信を続けていこう。

この記事を書いた人

まあや

趣味が「暮らし」のミニマリスト|暮らしのエッセイや本から得た気づきを綴ってます|ベトナム在住|フリーランス||ふだんはラジオ界隈に生息(東南アジアのミニマルライフ ) ▶︎https://lit.link/maayaminimal |生活費は月7万円くらい。