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全ての人が活躍できる多様性の場を『彩る』【ゲストハウス彩 高野朋也さん】

全ての人が活躍できる多様性の場を『彩る』【ゲストハウス彩 高野朋也さん】

この度取材させていただいたのは、武士の甲冑姿が印象的な株式会社i-link-uの高野さんです。「多様性を当たり前に活かしあえる社会」を目指し、ゲストハウス彩を運営する高野さんの福祉や多様性に対する想いを伺いました。

高野朋也さん

━本日は宜しくお願いいたします!まず、ゲストハウス彩で行っていることについて教えてください。

 宜しくお願いします!彩は築90年の古民家をリノベーションしたゲストハウスで、現在宿泊施設、コミュニティスペース、食堂を運営しています。
 宿は始めてから4年半くらい、コミュニティスペースは3年くらいになります。食堂は昨年始めたばかりです。コミュニティスペースの方は写真やポートレート撮影に使ってもらったり、習い事教室の場として使っていただいたりもしているので、宿泊客だけではない色々な方が出入りする場所になっています。
 宿泊施設とコミュニティスペースにプラスして、昨年の夏ごろに飲食業の許可を取って彩を起点に食事を提供する場を新たに始めました。その名も「武士食堂 彩り」。食事を通して外と中の人が仲良くなったり、出会いにくるような形を目指しています。

━ありがとうございます。彩では高野さんが武士の格好をされていることが印象的ですが、どのようなきっかけで始めたのですか?

 僕は武士の格好を6年ぐらいやっているのですが、武士をやる前は介護福祉士の仕事をやっていたんです。士業であることは変わらないのですが(笑)
 そもそも福祉の仕事は、サービスの提供者とそれを受ける側の関係性になってしまうんです。それに限界を感じて、この関係をどうにか壊せないかなと思っていました。そのとき、あらゆる人が福祉に従事したり貢献する一方で、福祉の専門化が進んでいると感じるようになりました。そこで、専門的な福祉ではなく「公共の福祉」に変えていく、つまり福祉を溶かしていくようなことをしようと思ったんです。
 そして福祉を溶かしていくために、社会保障制度と障害者年金制度、高齢者の福祉と児童福祉、といった縦割りではなくて横断的に変化を生むことにチャレンジしたいなと思い、そのためには自分自身も変身しないとダメだろうと思ったのがきっかけです。旗振りじゃないですけど、自分も身なりを変えて、「なんだこいつ!?」と、見るなりハテナがつくような形でやっているところを見ていただいて、なんとなく面白そうだなと思ってもらいたいと思って、武士の格好を始めました。

━介護福祉士をやられていて、福祉に対する違和感から武士の格好を始めたんですね!では、もともと福祉の道に進もうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

 そうですね。僕は明治大学を卒業した後推薦でコロンビア大学院に入学したのですが、大学院では「違う言語を使う文化圏の多様性」というテーマで、違う言葉を習得して、それを教える教育の面に関わっていたんですね。
 アメリカから帰国した後、僕を推薦してくれた教授と一緒に大学院で携わっていたような教育方法の英語教材をつくるベンチャーを立ち上げました。パソコンを使って英語学習をするソフトを開発したり、授業で使った後にブラッシュアップしたものを塾や予備校に売るといったことをやったり、オーストラリアやアメリカのディベロッパーの展示会に参加して販売や開発の糸口を見つけようと活動したのですが、教授やアカデミィア全般に対する批判になってしまうので、『最先端の自立学習の研究と並行して利益を担保することが難しく、うまくいきませんでした。それで「何か違うことをやりたいな」と思っていたところ、福祉の道に進むことにしたんです。福祉の道に出会ったのは看護師をずっとしている母親の影響です。福祉、というヒューマンな分野が自分には向いてるかもしれないと思い、専門的な福祉の勉強をしてきたわけではないけれど「ちょっとやってみよう」と福祉の道に入ったんですよね。

 その時、未経験で入ることができたのが認知症を患っている高齢者のグループホームでした。いわゆるオフィスで働くような仕事じゃないし、給料もそんなに高くないので世間的な前評判は良くなかったんですけど、僕は意外としっくりきて面白かったんです。

 僕は実家が富山県で、祖父母と暮らしていました。なので、祖父母の生活スタイルが結構好きだったし、親に甘えられないぶん祖父母に甘えてたという原体験があって。そのお陰でお年寄りに対する障壁はなかったですし、コミュニケーションの取り方もある程度は身についていました。
 もちろん認知症なので、突然30年前に記憶が戻ったり、食事を摂ったことを覚えていなくて急にパニックになったりして大変なこともあったのですが、お話を聞いたり、関わっていくうちにその人がもともとどんな人だったかを知っていくことで色々なことを学びました。しかし働く中で、グループホームのお年寄りが心から生き生きしておらず、そこで生活しているのがあまり楽しそうではないと気づきました。例えば個室が与えられていても食事の時しか個室から出て来なかったり、レクリエーションの時間も折り紙をやっているだけだったり。
 なぜそうなるかというと、これまで生活でやってきたことをグループホームでやっていなかったからなんです。
 例えば、一生懸命主婦として頑張っていて、夕方は必ず買い物に行って毎日食事を作って…と暮らしていた人が、急にその習慣がなくなれば、認知症が良くなるどころかどんどん一般の生活から排除されているように感じると思うんです。
 実際に自分が働いていたグループホームも、「認知症で危ないから」と包丁を持つことすら取り上げられていました。だけど僕はそれを知らないので、おばあちゃんに「教えてよ」と言って一緒に調理をしたりしていたところ、「こうやってやらないと切れないでしょ」と車椅子のおばあちゃんも立ち上がって包丁使いを見せてくれたんです。周りの人もみんな「やりたい」と言ってくれて、会話も生まれました。
 そうやって、社会に排除された人たちがアクセスできるようにもう一度設計していくと、みんな生き生きとしてきたんです。それが面白いなぁと思ったんですよね。
 
だから、意外と病気とかで排除された人達って、勝手にマイノリティにされていて、今までのようにアクセスできなくて、傷ついている人達なんだろうなと思うんです。そこをケアすると、社会性とか個人の人格の復活が徐々に見えてくるんです。

グループホームで働いていた当時の様子

―ゲストハウス彩では、多様性を生かし合うことをテーマに、障がいや年齢、ジェンダーなどさまざまな方がスタッフをやられていますよね。実際にどんな方たちがいて、雇用を実現するためにどのような仕組みでやっているのですか?

 彩のスタッフには目が見えない人や車椅子の人もいるので、移動や就労が困難なスタッフもいます。そういうマイノリティ、就労困難者の方は就ける仕事の職域が狭いです。彩ではそうではなく、サポートが必要だと思われている人たちと一緒に仕事を開発することで就ける仕事の幅を広げています。耳が聞こえないスタッフには手話で受付をしてもらったり、車椅子のスタッフには移動困難なゲストの方がいらっしゃったときに案内をしてもらったり。
 あとはまだまだ働けるしノウハウもあるのに、年齢で働き手として制限されてしまうことが多い65歳以上の地元のお年寄りがハウスキーパーをやったり、一緒に甲冑を作ったりと、色々な関わり方をしていますね。

彩は、 就労困難や社会にアクセスしづらい人たちが「ここなら何か活躍できる」場なんです。

 伸び代を見つける、というんですかね。福祉側が勝手に「知的障害だからこの仕事が合うだろう」みたいにマッチングして満足するのではなくて、「この子たちが本当に何をしたいのか」とか「実際に何がやりたい人なのか」という活躍の方法を一緒に模索しています。
 あとは、障がいのある人や高齢者の課題だけではなく、色々な状況・課題を抱えている子供たちが社会にアクセスするための場所でもありたいです。フリースクールのような形で、不登校の子供がここに来たら学校に行ったのと同じようにカウントできたり、中学生が職業体験として働いてみたり。そういう取り組みも始めています。いわゆる「社会にアクセスできない」という人たちは本当にたくさんいらっしゃっていて、色々な福祉の立場があるのですが、今の彩は「子供たちの未来を作る」というコンセプトになってきつつありますね。

スタッフの皆さん

━ありがとうございます。多様性の実現に対して色々なことに挑戦されている高野さんですが、その原動力や想いの糧はなんでしょうか?

 うーん、何だろうなぁ。僕がすごく思うのは、みんな世界を変えられないと思ってるけど、実は変えられるんですよね。たった1人が、関わる人みんなをエンパワーすれば。集団が力を持っているんじゃなくて、11人が力を持っているんです。
 多くの人は、自分を過小評価してる部分があると思うんです。「自分にこれだけ力があるんだ」と思えなかったり、親さえも感化してしまえる力があるんだということを子供が思ってなかったり。でも、自分をどう評価するかではなくて、自分の言っていることとか、あり方そのものが影響を与えられるんです。目立つ人、能力のある人だけがインフルエンサーというわけではない。だから僕は、個人をエンパワーしたいし、それが原動力なんです。

 そもそも集団をエンパワーするものが「制度」だと思うんですよね。だけど制度は全てに当てはまらないじゃないですか。教育制度でいうと、ある程度のマスの集団に対して効果的だけども、不登校の子は制度に当てはまらないですよね。制度に当てはまらないからといって、彼らに生きる価値がないわけでも、排除されるべきでも絶対にない。むしろそこをエンパワーすることによって、「当てはまらないからこそ、制度に対して教えてくれることもたくさんあるよね」「集団に対して教えてくれることたくさんあるよね」ということを制度に当てはまらない個人に言いたいです。反対に、マジョリティの人たちにも「とにかく小さい声でも聞いてみようよ」とも。
 そういうことを言えたり、見過ごさないような場所が、もう日本に無いんじゃないかなと思うんです。分離の中であぶれてしまった人たちをエンパワー出来る居場所をつくって活躍できる場所を作りたいという想いはかなり大きいですね。個人個人がエンパワーし合うことはもちろん大切ですが、最近の感じていることとして、地域や社会において、そこに単なる反射的なものとしてのシンパシー(同情)以外に、積極的で創造的なな知的なエンパシー(相手の身になって創造する行動、共感)を伴うアクションはとても大切で、日本に欠けているとしたら、包摂的ではなく分離する社会制度の中で、「他人の立場になって考え表現し、行動すること」が個の中にも、集団の中にも育むことが難しいのであると思います。

─マイノリティとマジョリティの境目がより解けていくために、世の中には実際にどのような変化が必要でしょうか?

 ゲストハウス彩のすぐ近くに、ご夫婦と看板娘でやられている美味しいおむすび屋さんがあるんですけど、娘さんは少し知的障がいがあるんです。うちにもよく遊びに来てくれますよ。そのおむすび屋さんは、娘さんと社会のアクセスポイントが多いんですよね。みんな美味しいおむすびを食べて、そこがだんだん好きになってきて。そうしていると娘さんに障がいがあるかどうか、というジャッジじゃなくて、単に「美味しいおにぎりを食べれるところ」として浸透しているんです。凄く便利な立地にあって、お腹が空いたらふいに行ってしまうような。
 専門化した福祉がマイノリティの方々を支えていくことよりも、一般の人たちがアクセスしやすい、色々なものがまじりやすい場所を設計することが必要じゃないかなと思います。
 100年かけて教育制度を変えるよりも、一瞬でその体験が起きてしまうような場所を作ることの方が、現実を変えることができると思うんです。

 彩を始めたばかりの頃、車椅子のスタッフに対して近所のおばあちゃんから「いや、あんたこんな子達雇ったらやっていけないよ」と言われたことがあります。そのおばあちゃんは福祉に対する隔たりや固定観念があったんでしょうね。しかしスタッフと話していくうちに、スタッフが抱えている想いやそれぞれがやりたいことを知って、彩まで遊びに来てもらえるくらいの関係にまでなったんです。
 だから、無関心や日本の教育制度のせいにして課題を遠いものにするのではなくて、とにかく現実を変えなきゃいけないんです。これが40年後とか50年後に変わっているのでは遅い。インクルーシブな社会を共創していく現場を立ち上げ、今を変えないといけないんです。

━ありがとうございました!

企業紹介

企業名:株式会社i-link-u
設立年:2016年11月1日
ひとこと事業紹介:多様性を活かし合う人情の宿・食堂
ホームページ:https://i-link-u.com/
その他リンク:武士がオーナー!鎌倉のゲストハウス彩(イロドリ)チャンネル!
◆Facebook: https://www.facebook.com/iiilinku/ ; https://www.facebook.com/tomoya.takano.1
◆twitter: https://twitter.com/i_link_u/ https://twitter.com/TOMOYA_A750
◆instagram:  https://www.instagram.com/guesthouse_irodori/ https://www.instagram.com/bushi_kamakura/
◆Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCBthfp7JuIPyJufXkJqCxAQ

この記事を書いた人

miyunagai

ライター、インタビュアー。日々耽るのは享楽、芸術は勉強中。希望ある未来と懐かしくなる過去をつくるべく、ゆるりと南船北馬。現在大学四年生。