いいことのスイッチ
応援消費という言葉を、ここ1,2年多く聞くようになった。
外食産業に供給されていた食材が余っているから、農家から直接買って、応援したい。
災害が起きた地域の産品を買って、地域に活力を与えたい。
もっと身近な話で言うと、推しのアイドルを応援するためにグッズを買うのも、応援消費だ。
先般の地震で、ふと思い立って福島産のものを買って、ちょっといいことをした気分になった。
そういえば、ちょっといいことって何だろう。
【1】
いいことでまず思い浮かぶのは、ボランティアや寄付。
誰かのために労力を尽くしてみたり、お金を使ったり。いいことをする、というと、時間かお金か、その両方がかかる。そしてもちろん、いいことをするほどの情熱がいる。
いいことに関しての情熱の話をすると、「情けは人のためならず」ということわざがある。
昔読んだことわざの本では、歩道橋を降りてくるお婆さんの荷物を持ってあげたら、巡り巡って己がため、クッキーをくれたというイラストがついていた。
見知らぬ人の荷物を持ってあげるのは、相当いいことだ。
声をかける壁は高い。自分の時間が惜しい。拒否されるかもしれない。
いいことをするのはこそばゆく、難しく、そして尊い。
いいこと、手が出しにくい。
それでも、いいことを全く、絶対にしたくないと思っている人間はそんなにいないと信じていて、ただきっかけの少なさだったり壁の高さが、そこにはありそうだ。
【2】
ちょっといいこと、というと、ラッキーなイメージが湧く。
機嫌がよさそうな時に「何かいいことあったの?」だなんて会話で話すエピソード。
あるいは肩肘を張らない、いいこと。
例えば、2020年3月11日の3.11の検索者数は、8,484,709人。
5秒で済むし、自分のお金もかからない。でも確かにそのお金は困っている物事のために使われて、いいことになる。
「Search for 3.11 検索は応援になる。」では、わずかでも興味を持って、検索をしただけで、いいことが積み重なっている。
例えば、以前から取り上げられている環境問題。
全く関心がなくてもPatagoniaのフリースは買えるし、修理に出せる。2025年までにPatagoniaは事業全体でカーボン・ニュートラルに目指しているそうだし、消費活動が地球に悪い影響を与えにくい、というのはそれだけでいいことに思える。
このように考えてみると、小銭の整理がてら募金箱を膨らませるのは、ひょっとしないでも「ちょっといいこと」かもしれない。
コンビニに置いてある箱に、会計ついでにお金を入れるだけ。その瞬間は何にお金が使われるか考えてもいないけれど、きっと入れた瞬間に何かが動いている。
最近はクレカや電子マネーにお世話になっているからご無沙汰気味だけれども、以前はよく、簡単にできるいいこと代表として、ジャラジャラと募金をしていた。
関心がなくても、「いいこと」と銘打たれなくても、いいことにつながるスイッチが透明になってそこら中で押されるのを待っている世の中になることを願いつつ、次立ち寄ったコンビニでは現金を出そうと思う。