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ぐるりと回る、世界と私

ぐるりと回る、世界と私

毎年、3月11日になると胸がきゅっとする。
その日は、今を生きる人たちにとって忘れもしない日付だろう。

東日本大震災。

多くの命や希望を奪った未曽有の災害は、今もなお傷痕は癒えていない。
私がこの日付を見て胸が刺されたような気持ちになるのは、被害者の方や関係者の方に想いを馳せているわけでも、無力感に苛まれているわけでもなく、あの日、あの時期、悲しむことのできなかった自分に対する絶望だった。

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それまでも、同級生の言う「将来は国際関連の仕事がしたい」とか「恵まれない人たちの役に立ちたい」という言葉にどこか傍観的で自分とは関係のないものだ、と遠ざけていた。
恵まれない人を助けて自分のためになることは何だろうとか、違う国の役に立つことで何を得られるんだろうとか、そんなことばかりを考え、時には「意識の高い人」と揶揄することさえあった。

どこか遠い国でテロが起きていたり、紛争の中で貧しい暮らしを強いられている人たちであったり、そんなことは関係ない話で、どちらかというと関心のない人の方が多い世の中に安心すらしていた。

それが、2011年3月11日に全てひっくり返った。

誰もが悲しみ、苦しみ、募金にボランティア、何かできることはないかと走り、防災意識や防災経路など地図すらも書き換えられそうな出来事が立て続けに起きていった。
私は「遠くで起きていた大変なことが、ちょっと近くで起きたんだなあ」くらいの感覚で、そんな世の中の大きな変化に置いて行かれ、今まではボランティアを「意識が高い」と揶揄していた人たちも、吐いた唾を飲み込むように走り回る。

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ああ、そうか。おかしかったのは私のほうだったんだ。

ぐるりと、ぐるぐるぐるぐるぐると。世界は回っていた。

大学生になった私は、少しでもおかしくない存在になりたいと、ボランティアサークルに入り、貼り付けの笑顔と真面目な顔を交互に取り替えながら東北にも、広島にも、熊本にもフィリピンにもカンボジアにも行った。

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どこに行っても現地の人のお話を聞く時間があり、周りの仲間たちは時に泣き、時にうつむきながら「微力だけど、何かしたいんだ」と呟いていたが、私は、じっと話をしてくれる人の目を見ていた。
失礼にならないようになんて、そんな礼儀正しさも欠片ばかりはあったような気もするが、本当はどうか、どうか私も同じ気持ちになれますようにと祈っていたのだ。
私も、その痛みが分かるように。ご飯も喉が通らなくなるように。
どうしたって健康で、当事者にはならなくて、冷たくて普通じゃない自分が、苦しまずに一緒に泣けますようになんて、そんなこと神様じゃなくたって罰当たりだと怒りそうな願いを、そっとバレないように続けていた。

大学卒業とともに、ボランティアの現場からは離れ、まるで関係のない業界で働き始めた。

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そこでは誰もが、被災地にも恵まれない国や地域にも関心のない顔をして、そんなことはこの世に存在していないかのような振る舞いで、日々の業務と評価と格闘していた。

ああ、そうか。意識が高いことなんて、生活がかかってないから出来ていたんだ。なんて思っても、違和感は拭いきれず、私はここにもどこか置いて行かれた気持ちでいる。

ある日、仕事で大きなミスをして、長い時間叱責され、職場でぶっ倒れた。
病院で「適応障害」という乾燥された文字の診断書が手渡され、3か月の休職となった。

せっかく普通になれたと思ったのに。望んでいた、意識の高い言葉のないような、目の前のやるべきことをやっていたら大丈夫な仕事に就いたのに。そこでも上手くやっていけず、「適応できず」なんて、やっぱり普通じゃなかったんだ。
今更とめどなくあふれる涙に何の価値があると言うのだ。あの時どれだけ願っても流れなかったというのに。

気が付けば、私は仙台行きの夜行バスに乗っていた。

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自分と、世界との差を感じ、行けば行くほど劣等感を募らせた場所に、どこか死に場所を求めるような気持でゆられ、ゆられていた。

今でも瓦礫は積み重なり、海はなんとなく灰色のままだった。
あの時、私たちが使っていた食堂はそのままで、気まずさ半分で顔を出すと、あの日喋ってくれたおばさんが顔を明るくしてくれた。

「どうしたの、久しぶりじゃない」
「ちょっと、仕事上手くいかなくて。気が付いたら、来ちゃってました」
「大丈夫よ。あなたは人の気持ちのわかる人だから」
「そんなこと、全然、ないです。私のこと覚えてますか?」
「覚えてるわよ。だって、いつもあなただけはこっちの目をじっと見ていて。逃げないぞって。そう言ってくれている気がしたの。もちろん、来てくれたみんなに助けられてるんだけど、あの時にあなたの目は、感動しに来てるわけじゃないってそんなことを訴えかけていたの」

ぐるりと、ぐるりと世界は回った。

今でも、3月11日になると胸がきゅっとなる。
けど、この痛みは大丈夫の証だ。

私は今もたまに、ボランティアへ赴く。
そこにいる人たちの痛みも、苦しみは今もまだ、わからないままだけど。

(執筆者:ニシオヒカル note / Twitter )

この記事を書いた人

ニシオヒカル

ニシオヒカル

株式会社MAGiC HoURの社長。 社会学や政策学を軸に「心優しい人たちが挑戦をあきらめない」社会を実現するために事業を展開。 漫画、アニメ、映画、お笑い、演劇などのサブカルチャーをこよなく愛する。