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たまには時空を超えて

たまには時空を超えて

小説が好きだ。
映画もドラマも漫画も良いけれど、やっぱり物語を味わうなら私は小説が好きだ。

推理小説を一晩で一気読みするのも楽しい。
でも、どちらかというと細々と何日も時間をかけて一冊の本を読むのが好きだ。

読書という行為はその書物の世界を頭の中に持ち歩く喜びだと思う。

この間、2010年代に刊行されたSF超大作を読んだ。

時代設定は25世紀。海面上昇によって地球上の陸地のほとんどが海に沈んだ世界を舞台に、残されたわずかな土地で暮らす陸上民と海を住処とすることを選んだ海上民の対立や交流が描かれた、それはそれは壮大な話だった。

文庫で上下巻に分かれたこの話を、細切れに何日もかけて読んだ。

朝の通勤電車を待つ駅のホームで、昼休みに人のまばらな食堂で、帰りの電車のホームで、風呂の順番を待ちながら、寝る前にあと少しを引き延ばしながら、同じ文庫本を何日もどこに行くにも持ち歩いた。

周りからは「よくそんなに細切れに読めるものだ」と怪訝な顔をされるが、私としてはこの細切れの読書が楽しい。

その小説を持ち歩いて読み進めている間中、私の脳内の一部はその世界とつながっているからだ。
PCと睨み合う仕事中、自分がいつもかじりついている無味乾燥な事務机にいながら、ザラザラと髪の毛に絡みつく潮風すら感じられる気がした。

土地柄、近くにはないはずの荒涼とした海の気配が常に身体に纏わりついていて、しまいには海上で慎ましく営みを送る人たちの微かな笑い声すら遠くに感じられると思った。

そんなふうに、脳内の一部を25世紀の世界に占拠されながら、私は私の日常を送った。

ページを捲るごとに迫りくる焦燥や恐怖、増していく畏敬の念を自分の日常でも引きずりながら、中途半端にその世界とつながった状態で私は私の日常を送る。

今いる場所とはまるで異なる価値観やルールに基づいて息づく世界。そこに生きる人たちの生活や信念。

物語を頭の中に住まわせて、それらを感じている間、気が付くといつもと違った目線で自分の日常を見つめている。

実際、自然といつもより深く長く食卓に並んだ料理に手を合わせている自分がいた。

その小説の世界は食物を栽培できる土地が極端に減り、海洋環境の悪化で魚も捕れない。圧倒的な食糧不足の世界にいる。
ーーーそんな世界に没頭していると、いつもは何とも思わない夕食の残りを詰めただけの弁当にも、とてつもないありがたみを感じる。こんなに食べ物が豊富にあるなんて、ありがたい。そんな気持ちが血流にのって身体を巡る。

正直、「次の世代の人たちのことも考えて、今ある資源を大事にしよう」と言われても、子どもがいるわけでもないし、自分の死後の世界のことなど想像できない。そんな気持ちもどこかにあった。

それでも、これからずっとずっと先の未来に生まれてくる人たちにも、食べて寝て、しゃべったり笑い合ったり、時には腹の探り合いをしたり苛立ちをぶつけ合ったりするような、そんな私たちと同じような日常があるはずなのだ。

あまりに遠い未来を舞台にしたその小説を読みながら、強烈にそんな思いを強くする。

ただ想像できないだけで、ただ生まれた時代が違うだけで、そこに生きている人たちと自分たちの間に何ら変わりはない。

実際、私は見た。25世紀の厳しい世界の中でも、今ここにある現代と同じように、先の見えない毎日を繋いでいる人たちの姿を見た、と思った。

事実、今の私には過去を見に行くことも、未来を覗くこともできない。自分じゃない人になることなんか到底できない。それでも、小説ならページを捲るだけで時空を越えられる。どんな境界も越えられる。

過去に生きた人の心持ちを想いながら、現代の豊かさと足りなさをじわじわと肌で感じる。あるいは、未来を生きる人たちのまなざしを少しだけ借り受けて、この現代の穏やかさと激しさに目を細める。

そうやって物語の力を借りて、自分以外のものの息遣いを知って、想像することが、地球一個分の暮らしに思いを馳せるきっかけになるのかもしれない。そんな気さえする。

それでも、残念ながら、私の頭は直接の知り合いではない人(あるいは知り合いであっても)のことまで、いつもいつも想像できるほど上等じゃない。

忙しない毎日に紛れて、自分以外の人のことは簡単に頭の中から抜け落ちてしまう。

だから私は本読む。時折、自ら時空を越えてみる。脳内の一部を別世界に明け渡す。そうすることで一時的に手に入れたいつもと違ったまなざしで、改めてこの世界を眺め直してみる。

この世界は自分のものじゃない。ありありと清々しく、まざまざとそう思う。そう思える。だから私は本を読む。

この記事を書いた人

ナナシマハル

1991年生まれ。北海道在住。環境問題に興味を持った理由は、暑いのが苦手すぎるから。毎年5月頃から夏の気配に怯えて過ごす。