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平等ではない

平等ではない

この世の中は残念ながら平等ではないと思う。

人生というものを競争に例えてみるとわかりやすい。
ある日、僕らはスタートラインに並んでゴール目掛けて競争をする。

すると不思議なことが起きる。
横一列に並ぶはずが、それぞれのスタートラインが違うんだ。

その違いというのが、「経済力」や「環境」というものだと思う。

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プロサッカー選手になるというゴールに向かってスタートしたとする。
そこにはA君、B君、C君、そして途上国にいるD君がいた。

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そして、同じようにスタートラインに並んでみたら上図のようになる。
このとき、同じ努力量であれば誰が最も早くゴールに到達するかは想像に難くないだろう。

これは事実として、存在するギャップであり仕方のないこととして受け止めなければならないし、僕ら日本に生まれて不自由なく育ってきたのであればそれに感謝をするべきだと思う。

少なくとも僕はそうだった。
そして、途上国や南米での環境を見て自分がどれだけ恵まれた環境に育っていたのかを改めて知った。

同じ情熱を持っていても、スタートライン自体が違う。
だから僕はその情熱を持つ人たちを応援し、背中を押すことでそのギャップを可能な限り縮めたい、と思った。

それによって、彼らの子供はまた違ったスタートラインに立つことができるかもしれない。

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そうすると、未来は変わっていく。

もちろん現実には、図に示したように優位な位置からスタートできる人もいるけれど、結局は情熱の有無によってその優位性も無駄になることだってある。

もしそれが50メートル走のような短距離であれば、その優位性を覆すことはできないかもしれない。

しかし、フルマラソンのような長距離であればどうだろう。

道中で何が起こるかわからない。
もしかしたらその優位性に甘んじて、優位に立つ者たちは休憩してしまうかもしれない。

このレースに勝つためには「計画」が必要となるのだ。

彼らが休んでいる間に、コツコツと進んでいけばいい。
先にレース会場を下見しておけば自分だけの発見があるかもしれない。

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スタート時点で差があっても、それが「勝敗」を必ず決定づけるモノではない。
しかし、自分が今どこにいるのかを把握することなしには結果を覆すことはできない。

自分の「不足」を知ることで、勝機を見出すこともできるかもしれない。

それが、この途上国において未来を変えるヒントになると僕は思う。

この記事を書いた人

Takuya Watanabe

Takuya Watanabe

発展途上国の国々でプレーをして、孤児院への訪問や支援活動をする中で、「本当の豊かさとは何か?」という疑問を抱く。 サッカーは世界中どこにでもあり、ボールひとつでコミュニケーションをとることができます。 しかし、まだ日本のすぐ近くのアジアの国々では、恵まれた環境があるわけではありません。 幼少期、Jリーグが発足。 サッカー選手は僕に夢を与えてくれました。 僕自身もサッカーをとおして子供たちに夢を与える活動を積極的に展開していきたいと思っています。